家族の家庭問題
偏差値の高い学校を受験することが合理性があるが・・
偏差値の高い学校を受験することを目指すことは間違ったことではなく、合理性がある、ということは事実ですが、それも含めて、学校の選び方についてのそれぞれの方針は一概に否定されるべきではないと思います。
しかし偏差値のわずかの差を絶対視することはあまり合理的なことではないでしょうし、また、現在の学びから逃避するような受験の仕方は、将来の負債となってくるおそれもあるでしょう。
資格や就職を重視することは、早いうちからの選択肢の絞り込みをすることであり、ひょっとしたらそれは可能性の切り捨てであるのかもしれません。
ただ、それぞれの選択をする際には、少なくとも大学や大学入試の現状がどうなっているのかを理解した上で選択するのが望ましいと考えます。
全国に七百以上の大学があり、高校生の半数以上が大学に進学する時代ですから、大学進学の意味も多様であり、大学の選択の仕方も多様であるはずです。
ですから受験の仕方や大学の選び方について「~でなければならない」や「~は好ましくない」といったセオリーに過度に敏感になることのない、もっとフレキシブルな受験の仕方もよいのではないかとも思います。
「とにかくイヤ」という気持ちだけで離婚調停を進めてもうまくいきません
協議離婚をうまく進めると言っても、もともと合わないところや相容れない部分があるから離婚調停を思い立っているわけで、仲良く円滑に進めましょう、と思ってもそういかないかもしれません。
ただ、離婚すること自体に合意をした夫婦であれば、多少不満は残っても「最後の共同作業」として、慎重な中にも、きっぱり、すっきりと進めてください。
基本的に、自分とは違うということを頭に入れて、相手もこう考えるだろうという一種の甘えは禁物です。
離婚調停の合意以外はまったく別の考え方だ(払ってほしい・払いたくない、など)ぐらいに覚悟しておきましょう。
そのためにも、自分と相手の性格や背景をよく理解しておくことが大切です。こういうときになにを言うか、どういう考え方をするか、それによってどういう結果を出すのか。
それらを考えもしないまま「とにかくイヤ」という気持ちだけで離婚調停を進めてもうまくいきません。
生まれてからその時点までの人生を見直すこと、今の人的環境を見直すこと、仕事など人生を過ごす上で欠くことができないものを見直すこと。自分がどういう背景を抱え、どういうアイデンティティを持って生きているのか、そして、この先のことをどう考えているのかも考えてみましょう。
それまで思ってもいないことを見いだして、離婚調停を思いとどまる人もいるかもしれません。それはそれできっと正しい選択になるでしょう。
そんな展開もあり得るほどの作業ですから、離婚調停を進める上でも、その人の背景が重要になることは間違いありません。